○掲載に間があいてしまいました。今回は、大阪の地形について。
小学校の時、郷土の学習か何かで、こんなことを習いました。
「大阪平野は、淀川と大和川によって、浅い海が埋められてできた平野です。」
「上町台地は、その南端の浅香山から、今の大阪城の所まで、南北にのびる
半島でした。」「その東側は海でしたが、やがて湖になり、だんだん浅くなって、
今のような平野になりました。」
○大阪平野の成り立ちなんてことには、普段、気も行かないのですが、例の「浸
水予想図」を見てから、今さらながらに、「危なっかしい場所だったのだ」と思い知
らされ、そういう歴史があったのでは仕方がないとも思えるようになりました。
○中央区森ノ宮の「ピロティ・ホール」には、この会館を建設するときに出土した
遺跡の資料が展示されています。おもしろいのは、貝塚で、はじめは縄文人さん
たちは牡蠣を食していたので、牡蠣殻ばかりたまっていくのですが、このあたりが
徐々に土砂の堆積で汽水からさらに淡水になってくると、牡蠣がいなくなり、かわ
ってシジミが大量に発生します。このため、人々の食材もシジミにかわり、貝塚の
標本の上半分は、シジミの貝殻でぎっしり詰まっています。「上町半島」の住人た
ちは、環境の変化によって、食料も変えていったということでした。
○それから、こんな地図が展示されていました。
縄文時代の、大阪市あたりの、海と湖の形が分かります。

「上町半島」の東側から北にかけて、おおきな湖があったのですね。これを見ま
すと、我々の住む城東区やお隣の都島区、鶴見区、東成区、生野区あたりは
すべて湖の底で、大東市や東大阪市の一部も同様です。
○近世以降、大和川や淀川の掛け替えが行われ、水の流れ方も表面上は
変わったのですが、しかし、何かことがあると、水というのは昔からついている
水のミチをたどると言われています。そうなると、このかつての湖だったところは、
やはり危険です。
○それで、寝屋川水系には遊水池を兼た緑地公園などがたくさんあるのが分か
ります。公園の作れない市街地には、雨水をためる大きなトンネルが作られてい
ます。また、学校の運動場の地下を一時的な貯水池にする工事も行われていま
す。
○昨年は、日本列島にたくさんの台風が来ました。洪水や浸水の映像を、ほんとう
にたくさん見ましたが、ここ大阪も、もともとの土地の成り立ちを考えると、対策を
怠ってはいけない場所であることがわかります。

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